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草島進一の「持続可能な鶴岡」日記

kusajima.exblog.jp

県知事への質問と新しい治水の常識。


先般、知事との夢未来トークで僕が問うた内容を記す。以下のふたつだ。
● 慶応大学先端生命科学研究所誘致の見通し。

鶴岡市は、毎年3億1千5百万円、山形県は、3億8500万円、毎年、
合計で7億もの公費を研究費用として投じている先端生命科学研究所でありますが、これまで7年間。50億円以上の公費を投じている。他の研究機関などにいきますと「ちょっと異常なのでは」という声も聞いておりますが、
市民、県民への還元について、どのように考えているか。
バイオ産業の見通しを、知事はどう考えているか。

● 最上川について世界遺産の運動をおこなっていることを紹介しておられました。最上川の環境を考えるものとして、支流の最上小国川についてうかがいますが、先般朝日新聞7月17日に、元京都大学防災研究所長の河川工学者、権威でいらっしゃる今本先生という方が、「穴あきダムは、歴史的愚行に他ならない。」という論を提起し、まさに、山形県が主張する「穴あきダムは環境にやさしい」といった主張に対して反論を呈しています。
● また、河川の治水に対して、例えば、徹底的にダムに拠らない治水のあり方を議論している淀川の流域委員会に対して、最上川の流域委員会の議論は、あまりにも議論不足であり、その中で知事は判断してしまいました。

県が、自然資本の真の意味を踏まえ、代替案まで真摯に作成して真の治水を議論している滋賀県、嘉田知事の姿勢と比べ、あなたの姿勢は、もうしわけありませんが、改革派知事とはいいがたい状況であると思います。

まず、穴あきダムによって、破壊される清流の、まさに自然資本の経済的な損失について、知事はどのように考えているのでしょうか。また、世界遺産たる最上川の支流の治水対策について、ダムによらない真の治水策についてもっとしっかり議論すべきと思いますが、いかがでしょうか。

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と問うた。この根拠には、以下、朝日に紹介されているような、真の治水のあり方についての流域委員会の議論が、淀川と最上川で全く違うということだ。
そして元国土交通省の技官。宮本氏が真実の治水のあり方について提起されている。
こうした議論こそ、真の公益的な治水の議論だと思う。

以下 引用す。宮本氏に大きな拍手を送りたい。
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朝日新聞関西版 2008年08月20日

【なぜ、どうしてもダムなのか 〜宮本博司〜】

(1)住民無視 情けない

6月18日、淀川水系流域委員会と近畿地方整備局が関係正常化のためトップ会談し、宮本委員長(左)と谷本光司・河川部長(中)が会見に応じる。

 6月19日、会社で仕事をしていた私のところへ、新聞社から電話がかかってきた。「国交省が明日、流域委員会の最終意見が出るのを待たずに、4ダム建設を盛り込んだ計画案を発表するそうです」

 あぜん、とした。

 7年前、「住民の意見を河川計画に反映したい」と、住民の代表や学者らでつくる「淀川水系流域委員会」を作ったのは国土交通省だ。それが委員会の意見を無視して、一方的に計画案を発表するというのである。

 昨年8月に委員会が再開して以降、担当職員が委員の質問にまともに答えなかったり、黙り込んだりが繰り返されたあげくの見切り発車。憤りも通り越して情けなくなった。

◆かたくなな国交省

 私は元々、国交省の職員としてダム建設に携わってきた「ダム屋」である。流域委ができた当時は淀川河川事務所長。淀川の責任者として、琵琶湖や淀川をどう再生するのか、住人の安全を守るにはどんな方法がベストなのか、ダムは必要かどうか、流域委とキャッチボールを重ねた。一昨年に国交省を退職し、今度は一住民として淀川にかかわろうと、委員として話し合いに加わった。

 最初は、流域委も国交省も同じ認識だったのだ。

 「ダムは他に実行可能な方法がない場合に、環境影響について慎重に検討し実施する」。これは、04年に国交省が出した文書である。長良川河口堰(かこうぜき)建設に対する全国的な批判を契機に河川法が改正され流域委ができたのだから、効果もあるがマイナス面も大きいダムの建設はみんなで慎重に考えようというのは当たり前のことだった。

 だが流域委が「ダムは原則建設しない」と提言し、それを受けて05年、国交省が大戸川など2ダムの建設凍結を発表した後から流れが変わる。「川のことは国交省が一番よく知っている。本気でそこまで住民や学者の意見を聴くのか?」との反動だったのか。

 流域委は突然休止され、国が委員を選び直して再開。07年、大戸川ダム建設が復活。「何が何でもダムをつくる」とひた走る国交省と流域委の議論はかみ合わなかった。

 5月には「流域委は予算を使いすぎている」と審議打ち切りの話が出てきた。「なぜ、どうしてもダムを造りたいのか」と委員から疑問の声があがる中で打ち切りに向かっていった国交省は、どこまで本気で住民の意見を反映しようとしているのか。説明責任を放棄し、住民意見の反映を拒否したとみなされてもしかたがない。

◆600回開催の流域委

 だが「国交省が強引に進めると言ったからもうどうしようもない」と引き下がるわけにはいかない。ことは住民の命にかかわる問題なのだ。

 そのことを一体、どれくらいの方が認識しておられるだろう。

 もしかすると皆さんは、こんなふうに考えているのではないだろうか。

 「国交省には批判もあるが、これだけ治水事業をやって、たくさんダムも造ってきたおかげで、もう洪水で人がたくさん死ぬ心配はない」

 「ダムがいらないと言っている人たちは、人間の命より魚や鳥の命を優先しているのではないか。確かに自然環境も大事だが、人命より優先するものはない」

 こうした考えは、とんでもない誤解である。

 ダムにこだわる国交省の洪水対策のやり方を変えない限り、3年前に「カトリーナ」の上陸で1千人以上が亡くなったニューオーリンズの悲劇は他人事(ひとごと)ではない。

 流域委員会が600回の会合を重ね、調べ、話し合ってきたことを、改めてみなさんにお知らせしたい。そのうえで、果たしてどうしてもダムに頼らなければならないのか、他の道を探るべきか、考えていただければと思う。

     ◇

 みやもと・ひろし 京都市生まれ。78年に旧建設省に入省し、技官として河川行政一筋に取り組む。近畿地方整備局淀川河川事務所長、河川部長、本省河川局防災課長などを歴任後、06年に退職。淀川水系流域委員会に一市民として応募し、昨年8月、委員長に就任。

朝日新聞関西版 2008年08月22日

(3)悲劇 他人事でない

 3年前、アメリカのニューオーリンズにハリケーン「カトリーナ」が上陸した。


 ニューオーリンズはミシシッピ川とポンチャートレーン湖にはさまれている。町は、堤防の下7〜8メートルの低地に広がっている。

 この堤防が一気に決壊したから、たまらない。一瞬にして1千人を超える方が亡くなった。

 このニュースを見て、みなさんはどう思われただろう。「かわいそう」「大変なことが起きた」とは思っても、果たして自分たちにも同じことが起こりうると思った人が、どれくらいいるだろうか。

 ニューオーリンズの地形と大阪の地形を比べると、決して他人事(ひとごと)ではないのである。

◆大阪の地形は怖い

 もともと海の底だったところに土砂が堆積(たいせき)してできた土地に広がる大阪の町は、淀川の堤防のてっぺんから10メートル、大和川のてっぺんからは20メートル下にある。あの一気にやられたニューオーリンズの地形より、もっと怖い地形に大阪の町はできている。

 しかも大阪には地下鉄が走り、地下街が広がっている。国交省のシミュレーションによると、もし、JR京都線が淀川を渡る地点で淀川の左岸堤防が決壊したとすると、天神橋6丁目の地下鉄入り口から氾濫(はんらん)した水が流れ込み、約7時間で、大阪のすべての地下鉄、地下街が水没するという。堤防が決壊したときの深刻さは、ニューオリンズをはるかにしのぐことになる。

 だがどれだけの大阪の住民が、堤防が決壊し、押し寄せる氾濫流に自分が流されて死ぬおそれがあると思っているだろう。

 ニューオリンズでもカトリーナの上陸前夜、近づいてくるハリケーンで堤防が決壊し、その氾濫流にのみこまれて死ぬかもしれないと思ってベッドに入った人がいただろうか。誰もそんなことはあり得ないと思っていただろう。大災害は実際に起きて初めて、それが現実に起きるものだと実感させられるものなのだ。ニューオリンズの悲劇は決して他人事ではない。

◆たまたま被害なし

 でも、あなたはこう思うかもしれない。

 「そんなこといったって、日本ではこのところずっと、ニューオリンズみたいな大洪水は起きていないじゃない」

 日本でも、昭和20年代は台風がたくさん来て多くの方が亡くなった。昭和34年の伊勢湾台風は約5千人が犠牲となる惨事となった。だがその後、洪水による死者はぐんと減っている。自然災害で大勢の人が亡くなったといえば、阪神大震災が記憶に新しい。

 地震で人が亡くなることはあっても、治水対策が進んだ日本では、もはや水害で人が亡くなることはない……そんなふうに、たくさんの人が考えているかもしれない。

 だが本当にそうだろうか。

 これまで洪水氾濫が起きるたびに、堤防のかさ上げが繰り返されてきた。確かに10メートルもある堤防はなかなかあふれない。だがいったんあふれて堤防が壊れたら、その被害は、堤防が低かった時代とは比べ物にならないほど壊滅的なものになる。

 自然は人間の思い通りに治まってはくれない。私たちが自然から堤防決壊というしっぺ返しを受けるのは、50年後かもしれないが、明日かもしれない。たまたま、このところ淀川では、それほどの大雨が降っていないだけだ。

 そして恐ろしいことに、淀川をはじめ、日本のほとんどの川の堤防は頑丈そうに見えるがその実、非常にもろいのである。


(4)堤防は脆弱なまま

 みなさんは大きな川の堤防を見てどんな印象を持つだろう。草の茂った堤防は、まるで山のよう。いかにも頑丈に見えるのではないだろうか。

 山が頑丈なのは、表層の土をのぞけば中は岩だからである。一方、日本の堤防の多くは土砂を積み上げただけだ。

 信じられないかもしれないが、京都府を流れる木津川の堤防はほとんど砂でできている。海水浴で砂山を作った人なら、そのもろさが分かるだろう。そんな堤防のすぐそばに家が建ち、街がある。

 淀川はどうか。

 淀川の堤防は土。砂山ならぬ「土饅頭(まんじゅう)」。土は砂より粘りけがあるとはいえ、決して頑丈な山ではない。

◆想定外対策後回し

 こんな川に大雨が降ると、どうなるか。

 水がしみ込んだ堤防の強度は低下する。強い勢いで流れる水にも削られる。それだけで決壊することもある。なんとか持ちこたえても、いったん水流が堤防を乗り越えて流れ出すと、水は川の反対側の斜面をどんどんえぐり、決壊を引き起こす。

 こうして一気にあふれる水のエネルギーはすさまじい。

 4年前、兵庫県豊岡市で円山川の堤防が切れた。堤防を越えた水は反対側の地面を4〜5メートルえぐり、決壊。上流の出石川では、決壊地点近くに立っていた家が一気に300メートル流された。翌日に現場へ行った私は背筋が寒くなった。決壊だけは防がなければならない。仮に水があふれても、決壊しにくい「しぶとい」堤防でなければいけない。

 円山川では洪水の後、川と反対側の堤防斜面にブロックマットを敷いて上から土をかぶせた。これだけでも、あふれた水が堤防を削るのに抵抗できる。堤防をしぶとくする工夫は様々考えられる。

 なぜ、こうした当たり前の対策が行われてこなかったのだろう。

 これまでの洪水対策のやり方はこうだ。「ここまでの雨なら耐えられる川にする」と、まず雨の量を決める。次に、その水を「ダムでくい止める水」と「川に流す水」に分ける。その計算に従ってダムを造り、川では、想定した水位までは、水が流れる側の堤防をコンクリート護岸などで固める。

 だが想定を超える水が流れたときの対策は後回し。その時は「決壊してもやむを得ない」ということになる。

◆堤防強化タブーに

 いったん洪水になれば、最悪の場合は多くの命が奪われる。「やむを得ない」で済むはずはない。ところが国土交通省は、淀川において、自分たちが想定した水位を超えた水位を前提とした堤防の整備を行うことは考えていないと明言した。

 なぜ、こんなおかしなことになるのか。

 私もかつて国交省の職員として、雨を想定し、計算に基づいてダムを造ってきた。


 だが一方で、「人間の勝手な計算どおりに自然が従ってくれるはずはない」とも感じていた。だいたい、ダム建設には時間も金もかかる。いつになったら多くのダムを造りきって計画が完成するのか見通しは立たない。常に「計画中」「整備中」。そうしている間にもいつ大雨が降るかわからない。

 私以外にも、こうした疑問を口にする職員は少なくなかった。一部の川では、たとえ水が堤防を乗り越えても急激に決壊しないよう堤防強化が行われた。

 だが次第に、国交省でその議論はタブーになっていく。堤防強化を推し進めることは、それまで「必要だ」と言ってきたダムの必要性を否定しかねないからだ。その結果、日本の川の堤防は脆弱(ぜいじゃく)な「砂山」「土饅頭」のまま、強化対策は本格的に実施されていない。

 堤防決壊で住民の命が失われるのに有効な対策を行わない……それは、命をないがしろにする国の不作為ではないだろうか。

(前近畿地方整備局河川部長、淀川水系流域委員会委員)

(5)減災へ転換 実行を

 洪水から町を守るには、堤防強化や川底の掘削、ダム建設だけでよいのだろうか。


 大阪の町が「天井川」に挟まれた底にあり、大洪水に見舞われたニューオーリンズよりも危険な場所に位置していることはすでに紹介した。なぜこんなことになったのか。

 もともと、川は低いところを自由に流れていた。それでは人間にとって不都合なので、堤防を造って「あまり自由に流れてくれるな」と、川を固定した。

 川を固定すると、いろんなところであふれていた洪水のエネルギーが全部川に集まってくる。一方、住民は「堤防ができたから安心」と、川の近くに住み始める。そこへ未曽有の大雨が降り堤防が壊れる。これではいかんと、堤防をかさ上げする。今まで以上に洪水のエネルギーは川に集中。人々はもう安心と、さらに周囲に町を築く。そこへまた大雨。洪水。堤防をかさ上げ……この繰り返しがずっと続いてきたのだ。

 ◆堤防どんどん高く

 秀吉が淀川に最初に作った堤防の高さは2メートル程度だったと言われる。しょっちゅう水はあふれていただろう。だが周囲にはそんなに人も住んでおらず、たいしたことにはならなかったはずだ。それをどんどん高くして、現在は10メートル。そのすぐ横に、日本で最も密度の高い町ができている。10メートルの堤防はなかなかあふれないが、自然は人間の備えに応じて治まってくれるわけではない。もし壊れたら、町は一気にのみこまれる。のみこまれる町の一軒一軒には人が住んでいる。家族がいる。そして、この堤防は土でできている。

 とりあえずは堤防を強くしぶとくすることが必要だ。さらに、洪水を川の中に押し込める考え方を変えなければならない。川だけでなく、できるだけ流域の中で水をためる方向へ転換していかなければいけない。

 ◆昔は田に水を分散

 佐賀県の城原川には、「野越し」と呼ばれる工夫が残っている。所々でわざと堤防を低くして、そこから水が乗り越えても堤防が壊れないように堤防を強化している。洪水は、ある水かさまでは川の中を流れるが、それ以上になると一部を「野越し」から周りの田んぼに流してうまくエネルギーを分散している。昔からの知恵であろう。

 こういう、水がじわっとあふれる場所を地域に作る工夫を取り戻さなければならない。もちろん、他の所に比べて水がつきやすいわけだから、農地にするとか公共の公園にするとか土地利用を変えたり、その土地にかかる税負担を軽減したりするなど、ハード、ソフト様々な工夫をして、洪水エネルギーを流域全体で分散して受け止めていく。目先の対策の繰り返しでは危険は増すばかりだ。

 実はこのことは、国土交通省も十分認識している。

 98年度の重点施策では、災害発生を前提として被害を最小限にする「減災」への方向転換を打ち出し、「想定を超える洪水が生じても被害を最小限に食い止めるため、たとえ越水しても急激に破堤しない」堤防の強化対策への推進を掲げた。さらに00年の河川審議会答申では、川の氾濫(はんらん)を前提とした土地の利用方法や、建物の建て方も含めた治水対策への転換が示された。

 ところがその後、具体的な施策はいっこうに進まない。依然としてダムと川だけで洪水を処理する発想で計画が作られている。

 国交省自身が限界を認識し、方向転換をうたったのに、舵(かじ)を切ることができない。このままでは、住民の生命を乗せたタイタニック号の氷山への衝突は避けられない。

(前近畿地方整備局河川部長、淀川水系流域委員会委員)
by stern888 | 2008-08-25 04:53
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